6月15日の景色

 やっと熱が引いたので、6月15日に書こうと思った日記を思い出しながら書いている。久々にに気持ちの塊の日記。きっと長い駄文。

 6月15日は秋田新幹線の中にいた。
 外はとてもきれいな青空。まさに絵になる景色だった。
 秋田新幹線の景色は、子供の頃からずっと大好きだった。「つばさ」「はやて」以外はすべての新幹線に乗ったことがあるが、東北新幹線から秋田新幹線につながっていく景色は殊に美しいと思う。都会には都会の営み、田んぼには田んぼの営み、山里には山里の、山には発電所林業の、そういう営みがすぐ近くに、手に取るかのごとく見られるのである。
 人が、ここにも生きている。こんな山の中にも、人が、生きている。
 そんな力強い景色だと思うのだ。それが美しい。あくまでも独断である。それも、自分が暮らすかどうかなど棚に上げてのこと。実に身勝手だ。

 だが。今日は6月15日。昨日14日は、岩手宮城内陸地震と名付けられた震度6強地震があったのだ。
 この美しい景色の向こうで、自然の恐ろしさに苦しむ人がいるのだ。そう思うと、ただ美しいと笑っていることはできない。私だって大仙市の町中で震度5弱の揺れにあったし、昨日は止まっていた新幹線が今日は無事に動いたから、予定通りに帰ることができただけだ。
 だがやはり、窓の景色は美しかったのだ。恐ろしいほどに。

 「岩手宮城内陸」ってどこだよ、と思う。あそこは私にとっては栗駒という歴とした名前がある場所の辺りである。行政がつける名前だから仕方ないのは十分承知しているのだが、なじみのある響きではない。母は、おまえは行ったことがない、と行っていたが、国道398号の看板がついた山道を通った記憶がある。舗装しなおす工事をしてて、砂利を巻き上げてドライブした記憶がある。その場所が、あの土砂崩れになった辺りだというのだから、とても驚いている。想像なんてしたこともない。人が山の中で生きるということは、こういうこととも隣り合わせなのだ、ということを無理矢理思い出させられた気分である。何せ、平野暮らし。自然と共に暮らしたことはナイと言うべきだろう。里の草木を味わう程度できたのだ。しかし、山に暮らす人は、普段から地震の度に怖い思いをしてきただろうし、今回の地震は「うちはたまたま助かった」気持ちも多いだろう。
 そうするとだ。山に暮らす人は、意識するか無意識かは別として、幾ばくかの覚悟をいつもしているように思う。その心の強さが、弱い私には美しく見えてくる。そして、その景色も。

 山の中で生きるのか
 山の中で生きたいのか
 山の中で生きるしかないのか

 頭にふとよぎった。
 もう8年も前になるのか。秋田の詩人が亡くなり、友人と日帰りで墓参に行ったことがある。あのときは春の涙雨。深い山の中の一軒家。隣の家とは数十メートル離れていて、その隣の家は見えなかった。しっとり雨が降っていて、ただ、墓参りに外に出たときだけ雨が止んだ。来てくれたことを喜んでいるのかな、と感じて帰った。詩人とは語り合ったわけではないけれど、秋田を愛していたような、家を離れたがっていたような、美しい沢を愛していたような、何もないことを悲しんでいたような、やりとりがあった。詩人はとても気持ちがゆれていたように感じていた。
 詩人さん。あなたはどうだったのかな。

 山の中で生きるのか
 山の中で生きたいのか
 山の中で生きるしかないのか

 きっといずれにせよ、誰もが落ち着いた生活を望み、健康と幸せを願い、必死だと思う。山の中かどうかは、そのアトだよな。埼玉に帰ってきた日、私は余震が無いことだけでとても気持ちが落ち着いた。
 山の中で、強く美しく生きている人々の幸せが、どうか一日も早く戻りますように。